講師紹介 八王子・高尾ピアノ教室「あさおか音楽教室」




八王子・高尾ピアノ教室 

「あさおか音楽教室」


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◇主宰:浅岡尚子(あさおか なおこ)

 

【月謝はいらないから私に教えさせて】

3才の頃、年子の姉がピアノを習っていて、私も母にくっついて毎週先生のお宅に通っていた。

ある日先生が「なおこちゃん、何か弾いてみる?」と仰ったので私は、近所のお姉さんに教えてもらった

「ねこふんじゃった」を

先生の前で披露。それをご覧になってビックリされた先生は、なんと

「月謝はいらないから私に教えさせて」

と母に仰ったそう。そして私のピアノ人生が始まった(月謝はもちろん払いました)

 

ピアノは、姉をすぐに追い抜いてしまい、バイエルも1年位で上下巻あっという間に終了。

年長の時に私だけ別の先生を紹介されそこに通うようになる。

小1で初めての発表会に出演し、エルメンライヒ作曲の「紡ぎ歌」を演奏。

楽しく弾いていたので、「紡ぎ歌」がそんなに難しい曲だったと言う感覚はなかった。

 

当時は、ピアノが大好きで一日中弾いていた。

 

 

【発表会に入りびたり】

八王子市民会館が近く、しょっちゅうピアノの発表会が開かれていたので、小学校高学年の頃には一人で

よく聴きに行っていた。(特に知り合いが出ていたわけでもないのに)

そこで繰り広げられるたくさんのリトルピアニストたちの演奏。

気に入った曲があればすぐにピースの楽譜を購入し、自分で好きに弾いて楽しんでいるような子だった。

私の通っていた教室は、生徒さんが50〜60人ほどいる大きなピアノ教室で、毎年八王子市民会館で発表会が開かれ、私もそれに参加していた。

おとなしい子だったがステージで弾くのは大好きだった。

 

この頃から、ステージ好きな今の私が作られたのかも。

 

 

【中・高校時代】

中学時代にはブラスバンド部に入り、フルートを吹いていた。

毎日の放課後の部活は、とても楽しかった。まだコピー機などない時代だったから、楽譜は先輩から借りて、手書きで写して書いていた。ピアノのレッスンでも、書き取り聴音を毎週やっていたので、楽譜を書くのは全然苦ではなかった。

またこの頃は、ポピュラーの楽譜を購入し、コードも独学で習得。

そして、都立武蔵高校に進学した。合唱祭では毎年ピアノ伴奏を担当。ピアノはずっと続けていたが、音大に行くつもりはなかった。

ところが高2になり、急に音大受験を決意し、国立音大の夏期講習会にも参加。

聴音の授業で、すっごい難しい課題を書き取れてしまい、周りにびっくりされたことも。

昔から聴音は大好きだった。

 

その後、ピアノ、声楽、ソルフェージュを音大の3人の先生に習うようになった。

 

 

【本番が楽しい】

国立音大を目指し、受験時代ながらも楽しく過ごしていた。

満を持しての本番。

なんと本番が、楽しみで仕方なかった。そして、無事合格。

ところが、入ってすぐ、目標を失ったためか虚しくなってしまい、5月病に。

でもバイトを始めたり、合唱団に入ったりした事で気分も上昇。

大学1年の冬より自宅と出張でピアノの生徒を11人教えるようになった。

音大でのある日のキーボードハーモニーの授業では、バッハのインベンションの1番を移調して弾く課題を出され、その場で練習。50人位のクラスで一人ずつヘッドフォンをして弾いているのを先生はカチャカチャ切り替えながら聴くことができるシステム。

その時、「みんなに聴かせてあげて!」と先生は私に仰って、模範移調奏をしたことも。

また私の科では大学卒業時に、卒論の代わりに卒業作品を提出することになっていた。

私は副科でファゴットを習っていた事もあり、

「ファゴットとピアノのためのソナチネ」という曲を作り、選ばれて卒業作品演奏会にも出演。

卒業後は長年の夢だった体操の床運動の伴奏をしたくて、練馬にある「大泉スワロー体育クラブ」に専任ピアニストとして就職。しかし時代はオーケストラ伴奏に変わってきていた上、職場は自宅から遠くて家でピアノを弾く時間も取れない事に悩み1年で退職。

それから1年半後、ヤマハの幼児科講師(現システム講師)の試験を受け宮地楽器に配属になる。

 

グループレッスンを担当し、多い時で80人以上の生徒を抱えるようになる。導入期の指導のレッスン風景はビデオに撮られ、新講師研修などで使われた。また、宮地楽器幼児科講師のリーダーとして数年間みんなのまとめ役も務めた。

 

 

【来週生まれたらお休みね。】

その後結婚した後もヤマハの講師と自宅でのレッスンは続けていた。

長女出産の時は、ヤマハの方は産休に入っていたが、自宅のレッスンはギリギリまでやっていて、「来週生まれたらお休みね」という位元気な妊婦だった。

1989年一人目を出産(娘)

産後1ヶ月だけ休み、後は保育ママさんに預けながら自宅レッスン再開。

程なくヤマハの講師にも復帰し、八王子から昭島や立川、府中に通う。

自分の子を預けて、人の子の面倒をみることに葛藤を覚え始める。

1994年二人目を出産(息子)

10年以上勤めたヤマハは退職し、自宅(台町)だけでピアノレッスンを展開する。

1995年、自宅レッスンも続けながら、友人の紹介で八王子や立川の養護学校(現特別支援学校)や八王子盲学校などの都立校の非常勤講師としても勤務。10年程続ける。

 

【大変だった子育て】

娘は友達や先生には恵まれるものの、小学校3年辺りから学校が向いてない、行きたくない、と不登校気味に。

下の息子は保育園。とにかくジッとしていられない子で、何度行方不明になっては探したことか。

 

子育てをしながら、学校勤務と自宅レッスンで必死に過ごす毎日。

とにかく朝は戦争のようで、ギリギリの時間に職場の学校へ着くことも多く、周りの先生に皮肉を言われたりして傷つくこともしばしば。

こっそりトイレで泣いた事もあった。

自分で選んだ道とはいえ、もっと子育てに集中したかった・・・

自分の子の面倒を見るのはやっぱりお母さんしかいない。

その子に対しての子育ては一度きり。

若いお母さんには、子育てをぜひ優先してもらいたいと思う。

その後不登校だった娘も音楽に助けられて育つ

 

(下記に娘のことも紹介)

 

 

【演奏活動 オペラにハマる】

子育ても何とかひと段落した2002年、オペラリリカ八王子合唱団に入る

2003年7月 『椿姫』に合唱で出演。オペラの魅力にハマる。

週に1〜2回活動。年に2〜3回のステージをこなす。

出演した主なオペラは

『椿姫』『ラ・ボエーム』『カルメン』『マクベス』『イル・トロヴァトーレ』『カヴァレリア・ルスティカーナ』『パリアッチ』『ラ・チェネレントラ』『アイーダ』

また、毎年開催された団員ソロコンサートでの『魔笛』ハイライトでは、パミーナ役に抜擢され、当時新国立劇場の研修生に受かったばかりの小堀勇介さんのタミーノと共演

また、「ラ・ボエーム」「カルメン」の本公演には、教室の生徒中心の児童合唱団も出演し、その指導も任された。


2004年、東浅川でもテナントを借りて音楽教室を開く。数人の講師の手助けもあり、生徒は徐々に増え、発表会も小ホールから大ホールに。

2016年には、0歳〜3歳のリトミックコース「EQWELドレミコース」も開講。

2017年に受けたペースメソッドのセミナーに衝撃を受け、現在も勉強を重ねている。

また、これまでに音高・音大合格者なども出す。


【生徒合格実績】

国立音楽大学附属中学校

国立音楽大学附属高等学校声楽科

国立音楽大学ピアノ科

洗足学園音楽大学教育科etc.

 

 

【保護者の声】

・丁寧で、優しい

・その子にあった方法で教えてくれる

・子供の気持ちに寄り添ってくれるので、

  安心しておまかせできる

・先生が演奏活動しているのもすごい

・歌も教えてくれるので、棒歌いが直った

・2年に一度の発表会は、毎回工夫されていて楽しい


など評価を頂いている。

 

【資格その他】

・中高音楽科教員免許

・ヤマハのピアノ、エレクトーン演奏グレード・指導グレード

・jet(全日本エレクトーン

  指導者協会)会員

・MK(ミュージックキー)マスター&ディプロマコース認定

・MK研究会八王子支部代表

・MK研究会東京支部会員

・元吉ひろみ先生によるシニアピアノ指導者コース受講

・ペースメソッドのモペット、キンダー、レベル1、レベル2のセミナー受講

・ペースメソッド研究会八王子支部会員

 

 



【娘と鈴木メソード】

3歳の時ヤマハでエレクトーン、

鈴木メソードでバイオリンを習う。

すぐに頭角を表す。

一回言うとすぐに習得してしまう天才肌だった。

なぜすぐにできてしまうのか親の私にも正直わからなかった。

バイオリンでは、弓の動きを一回見ただけで弾いてしまう娘。器用だった。

3歳児ランド、幼児科を終えジュニア科専門コースでエレクトーンとピアノを本格的に習う。

3年生でJOCで地区大会へ進む。

普通の中学受験の為4年生で塾へ通うことになる。5年生の時には鈴木メソード、6年生の時にはヤマハもやめる。

通っていた日能研の全国模試では国語で冊子に名前が載ったことも。

国立音大の附属中学校の説明会に私が生徒のために行ったとき、小6の娘も同席。

11月のその説明会に参加するうちに娘が音中を受験したいと言い出し、急きょ進路変更。

無事、電子オルガン(エレクトーン)専攻に合格。

 

【音楽大学附属中学へ】

学校という組織が合っていないと(本人談)、中学でもまた不登校に。

中1、中2・・・

傷つきやすく、繊細な子だった。

 

【音楽で癒す】

娘は、傷ついている自分を自分の演奏で癒しているようだった。

家のレッスン室でこもってエレクトーンを弾いている娘を見て私は、習わせておいて良かった、とその時つくづく思った。

中3で先生が変わり、レッスンが軌道に乗る。

どんどん実力を発揮する娘。

高校の卒業の時には卒業演奏会で選ばれ、音大の講堂で演奏する。

その後大学も無事卒業し、主にピアノや鍵盤ハーモニカでの演奏や伴奏、作編曲の仕事を始める。

ミュージカル公演等の劇伴にて現在まで約300ステージの演奏

米良美一、今陽子、サーカス、辛島小恵、村上ゆき(敬称略)等と共演。

BS-TBS「日本名曲アルバム」に伴奏ピアニストとして出演。

早稲田大学グリークラブ、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団、立教大学グリークラブ女声合唱団、東京学芸大学混声合唱団等の伴奏を務める。

FM-フジのラジオ番組「さあ、ルバート!」にゲスト出演。楽しいトークで盛り上がる。

 

【経歴そして現在】

・「谷リエ子シャンソンクラブ」レギュラー伴奏者

・ 東京都町田市「ピアノカフェ

    ショパン」に毎月2回出演

・ 合唱団伴奏者兼言語指導

・ 朗読劇の劇団でピアノ担当

・ 音楽事務所otoeimusic所属

・ その他室内楽・オーケストラ

    の鍵盤楽器奏者、バンドの

    キーボード演奏、声楽・各種楽器の伴奏、作・編曲など



を経て、現在は株式会社ミュークルのスタッフとして、音楽業界、福祉業界の発展に寄与している。